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正面に国会議事堂をのぞむデラックスな新議員会館。その磨かれた壁大き
く開かれた窓。ホテルのような建物の中では、議員たちがはたらきばちの
ように飛び廻っている。
今日も又お客さんがおしよせる。村長さんも就職をたのむ人も。たすきが
けの陳情団も。待つ身はつらいが、先生はいそがしい。一目総理に会おう
とはるばるやって来たが、おいそれとは会えないらしい。やっぱり陳情は
お国の先生に限る。われわれの先生はていねいに話を聞いてくれる。
先生は選挙区の集まりがあればそこへも行って一席ぶつ。さて話が一応終
ったところで皆さまを食卓にご案内。議員食堂は陳情団であふれている。
お得意さまはみんな満腹のようす。さてすっかりごきげんをとりむすんだ
先生、『これで百票はかたい』と胸算用か。
(作品No.NAJ0976-04)
(昭和39年3月25日公開)
揃いの制服に選ばれた者の誇りを包んで今年も防衛大学を巣立つ若人たち。
そしてその後に続く少年自衛官たち。
横須賀市武山の陸上自衛隊少年工科学校に集る十五才から十七才の少年た
ちは二年間、此処で自衛官としての最も基礎的な教育を受けるのだ。
起床午前六時、太平洋の汐風が頬を切る朝、校庭で校長の訓辞をきく。
軍人であった父にあこがれて格好のいい自衛官を志願したという少年たち。
授業は一般の工業高校の過程と変らないのだが、此処は教育の場であるよ
りも先に訓練の場であるのだ。そして出世の早道でもあるのだ。
旧陸軍幼年学校そのままの棒取り合戦に若い肉体が力いっぱいぶつかり合
う。
演習の日、戦争を知らないこの少年たちが銃を構えて敵陣に突撃して行く。
何のためらいもないように。
かつての実戦でこの少年達と同じ様に銃をかまえて死んでいった父達の死
の意味を此の少年達は知らないかもしれない。
戦う戦士を作り出すこの学校でこの少年達は将来の陸上自衛隊に於ける高
度の技術要員として育って行くのだ。
(作品No.NAJ0975-04)
(昭和39年3月18日公開)
伝統のタカ匠の技術をただひとり守りつづけている山形県真室川町の沓沢
さんは今日も孫の国雄君にタカの扱い方を教えている。
十一才の国雄君は去年の秋からエサの与え方から狩りの仕方と忍耐強くお
じいさんの教えをうけて約半年。
この頃ではタカも少しづつ国雄君になじんで来たようだ。今日はうさぎを
放して本格的なトレーニング。うさぎを見つけたタカは矢のようにとびか
かって行く。獲物をとらえたタカにはかわりの肉を与えて獲物から離すの
ですがこの技術は国雄君にもまだ難しいようだ。それでもタカの好きな国
雄君は一所懸命だ。
夜の炉辺でも二人はタカといっしょに過す。けわしい表情で人になじもう
としないタカ。しかし国雄君は五十年ならし続けて来たおじいさんの技を
立派に受け継いでゆこうとひとみをかがやかせている。
(作品No.NAJ0975-01)
(昭和39年3月18日公開)
まためぐって来た春闘の季節。総評議長太田薫氏の大いに腕をふるう時で
ある。『日本の若い労働者は世界で最高、学校を出た率も最高だ。そして
一人の生産性からいったら外国の二倍だが、その労働者は三分の一、いや
四分の一で使われている』とエネルギッシュにぶちまくって大会から大会
へとかけずり廻ります。大会の合間に政府の臨時行政調査会にも姿を見せ
ここでも委員として大いにぶちまくる。
高等学校のクラス会に顔を出し、重役になった昔の仲間も会う。
テレビでは日経連のお偉方を相手に春闘のお手合せ。太い声音で千両役者
の貫禄も十分だが、一たん家に帰ればやさしいお父さんに早変わり、訪ねる
カメラマンにもそつなく愛嬌をふりまいてちょっとしたタレントぶり。
車にゆられて総評へ。労働力は今や売手市場。賃上げ最低五千円と要求が
出そろって今年の春闘はかつてない長期戦のかまえです。
(作品No.NAJ0974-03)
(昭和39年3月11日公開)