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女が美しくなるところ。美容院。そこが憲ちゃんの職場である。たくさん
のご婦人に囲まれて、憲ちゃんはここのスターだ。腕がたつ上、スタイル
がとてもいかす。そして非常に親切だ。もてないわけはない。休もうと思
ってもなかなかそうはゆかない。Xマス、お正月とめっきり忙がしくなる。
食事の暇もありゃしない。
憲ちゃんには映画スターのお客が多い。今日はスチール撮影とか。いっし
ょにスタジオにゆくのも毎度のことだ。
スター稼業も大変だが、あちこち引っぱりだこの憲ちゃんもスタミナがな
ければ続かない。
一仕事すめばほっとする間もなく次のお座敷が待っている。
たまにはお得意さんの家に招かれる。今月はスターの家でクリスマス。愉
快だが、ふと変な気持にもなることがある。
憲ちゃんは『机にむかってペンをとることが大きらいだ』というが、とも
かくこんなに多くのお得意さまにもてるのもめずらしい。
そしてスクリーンに出ないかくれたスター憲ちゃんはバラ色の日日を送っ
ている。
(作品No.NAJ0963-04)
(昭和38年12月25日公開)
年年のエトを彫って十五年、新しい郷土がん具の歴史を刻んで来
た伊勢木彫の名人といわれる中村さん、今日も五十鈴川の流れに身
を浄め、クスノ木を材料に「エト」を彫ります。次々に掘り出され
てゆく辰年に因んだ竜のみごとさ。きれいな箱におさまった「エト
守り」が初詣の人びとの人気を呼ぶことでしょう。
(作品No.NAJ0963-03)
(昭和38年12月25日公開)
「町にゴミ焼場を作らせるな」と地上五十メートルの煙突にのぼっ
た小野田さんに、東京北区志茂町の住民で結成したゴミ焼場設置反
対期成同盟の気勢は一挙にもりあがりました。
住民や息子に激励されて小野田さんは煙突の先に丸太を渡しその上
に食糧や寝袋まで用意して要求貫徹までは断じておりませんと、籠
城のかまえ十分です。
とうとう警視庁の機動部隊が出動。レインジャー部隊も押しかけて
はもはやこれまでと滞空三日間がんばり続けたエントツ男も一人で
そろそろとおりはじめました。どうやら地上におり立ちましたが、
全く足が地につかず、そのまま病院へ運ばれてしまいました。
(作品No.NAJ0963-02)
(昭和38年12月25日公開)
森林軌道しか通わない山形県の古寺部落にはじめて電気がひかれ、暗いラ
ンプの下の生活にお別れしました。
こどもたちのみつめる中で電線をはり終れば、町から式に出席する人を乗
せて、軌道車がやって来ました。ランプの灯も今日を限り、雪の降る中で
点灯式が行われました。
じっと電灯をみつめる人びと、しみじみそのありがたさをかみしめている
ようです。
学校にはテレビも置かれ、こどもたちの夢を育てます。
初めてみる電気機関車、うれしいクリスマスプレゼントです。
今年最後の軌道車が山をおりてゆき、部落は雪のきえる春までまたひっそ
りとした暮しが続きます。
(作品No.NAJ0963-01)
(昭和38年12月25日公開)
国つくり人つくりを唱える池田首相の呼びかけに始まった一九六三年。
鉄骨が空に突き出し、町にはビルが林立してゆく。山奥に巨大なダムが完
成し、急ピッチで進められる建設の車輪は高度成長への道をつっぱしった。
人びとはその建設と繁栄の旗じるしのもとに息せき切ってかけていた。
そして重税にも耐えてきた。
バンザイの中で解散した衆議院は選挙の結果第三次池田内閣が誕生、かわ
らぬ歩調を進めた。行方の定まらぬ若人のエネルギーはしばしばその方向
を見あやまり、少年の犯罪がひん発した。
吉展ちゃん事件、狭山事件と誘かい事件があいつぎ、刑事さんには目のま
わるような一年であった。
十一月九日午後、三井三池鉱業所三川鉱爆発で死者四百五十七人を出し、
同じ日の夜、国鉄東海道線鶴見、新子安間で二重衝突をひきおこし、死者
百六十三人、重軽傷者は七十一人に及んだ。
二月二十六日『ときわ丸』沈没。八月十七日藤田航空機が八丈島に墜落。
事故につづいた一九六三年、今年一年で交通事故による死亡者は一万一千
五百人に達した。
『よくぞ生きてきた』という言葉に実感がこもる。
ケネディ大統領の死は全世界を驚かせた。
大臣の外遊が相ついだ。歓送歓迎の人波に揺られて大国ニッポンの神話が
よみがえったかに見える光景。
ポーンをK.Oし海老原は世界フライ級チャンピオンの座をかちとった。
東京オリンピックの一年前、十月十一日に開幕した東京国際スポーツ大会
には依田選手らの活躍が明るい希望を持たせた。
そしてオリンピック入場券を求めて寒空の下に延々と行列が続いた。
終戦直後のような行列と共に東京オリンピックの年一九六四年を迎える。
(作品No.NAJ0962-01)
(昭和38年12月18日公開)
まだ夜の明け切らない千葉浦安の朝。海にはのりが暗く揺れている。
にぶい冬の日が海の向うに顔を出すとき、ようやくねむりからさめた一面
ののりひびが、海面にくっきりそのかげを引く。
あさり取りの舟あしは早い。のり舟も白いしぶきを立てて沖へ向う。
見渡す限りひろがるのり漁場は朝日にきらきらと輝やいている。
遠くさぎが群をなして飛んでゆく。むかしと変わらない風景だ。
沖にははぜ釣り舟が出ている。
浦安沖のひるさがり、せっせとあさり舟が養殖のあさりを獲っている。
ひる休みもそこそこに『ベガ舟』が又のりひびの中をわけてゆく。
然しこの『ベガ舟』のふる里も京葉工業地帯の出現でやがては消えてゆく
運命にあるという。
(作品No.NAJ0961-03)
(昭和38年12月11日公開)
『筆は一本、箸は二本』といわれたのは昔のはなし。今をときめく漫画集
団の作家たちが、箱根にくりこんで、旅館を借りきっての忘年会を開きま
した。舞台支度もO.K、日頃なじみの編集者やマダムも今日のお客さま
に、珍芸をひろうします。
カルメンに扮する『ハナ子さん』の杉浦幸雄さん。すっかり若やいで口上
も軽くつとめますのは近藤日出造さん。
あざやかにタクトを振る加藤芳郎さん――と、歌って、踊って、夜が更け
るまで続きました。
明日からはまたフレッシュなアイデアが泉のようにわきあがって来るでし
ょう。
(作品No.NAJ0961-02)
(昭和38年12月11日公開)
特別国会が始まって、国会議事堂の隣りに出来た議員会館には晴れやかな
面持ちで議員さんが引越して来ました。
議長候補の船田さんも、議員一年生の西岡さんもやって来ました。
議長には自民党の船田さん。なかなか決まらなかった副議長は田中伊三次
さんに落着き、いよいよ首班指名。
首班は池田さん。閣僚は佐藤さんも河野さんもみんなそろって留任。第三
次池田内閣は発足しました。
(作品No.NAJ0961-01)
(昭和38年12月11日公開)
洋画教室は花ざかり、どこの画廊もにぎわっている。ずらり並んだ作品。
ルオの肖像画は三千万円は下るまいという。
めっきり増えた画廊。このごろパリに行って来た画商の一人土井さんは、
戦後の注画ブームでどうやら日本でも画商がなりたつようだといっている
が、小ぎれいで率のいい商売だけに同業者もふえて、お得意さま獲得が大
変、新築の家があれば早速おしかけての商売です。売り渡すお値段は相手
次第、虚々実々のかけ引きとか。
とはいえ持ちつ持たれつの相手が先生だけに骨が折れる。月に一度のせり
市が有馬温泉でひらかれた。関東の画商たちもやって来た。どれも庶民た
ちには手の届きそうもないお値段だ。梅原龍三郎画伯の『浅間山』は仲間
値段で四百七十万円におちた。お客におさまるときは幾らになろうか。そ
んな切ない勘定は画商たちには縁がなさそうだ。
家に帰った土井さんはゆったりとゴルフを楽しむ。
(作品No.NAJ0960-03)
(昭和38年12月4日公開)
故ケネディ大統領の葬儀は十一月二十五日、全世界の哀悼のうちに行われ
た。
この日故ケネディ大統領のひつぎは議事堂から聖マシューズ教会に移され
荘重なミサのうち再び七頭立ての馬車でアーリントン墓地へ向った。墓地
まで行かないキャロラインちゃんとジョン君はここで父親に最後の別れを
告げた。この日ちょうど三才の誕生日を迎えたばかりのジョン君はひつぎ
に挙手の敬礼をおくった。アーリントン墓地の埋葬式にはドゴール仏大統
領、ミコンヤンソ連首相など世界各国の元首、首脳が参列、星条旗につつ
まれたひつぎが埋葬場に降されると軍楽隊が米国歌を奏し、その上空を五
十機編隊の米空軍が空から別れの挨拶をした。やがて二十一発の弔砲がと
どろき、悲しい葬送ラッパが響きわたる。ひつぎをおおった星条旗がたた
まれてジャクリーヌ未亡人の手に渡された。
黒のベールに身をつつんだ未亡人は点火器で故ケネディ大統領の墓前に永
遠の火を点じた。
こうして理想と勇気を唱えてたおれた故ケネディ大統領を象徴するこの灯
はポトマック川をへだててワシントンの市街をみはるかす、ここアーリン
トンの丘に永遠に燃えつづけることだろう。
(作品No.NAJ0960-02)
(昭和38年12月4日公開)