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冷い風が渡る長良川の河原で元気いっぱい石ころを投げつける盲の子たち。
白い杖をたよりに歩くこの子らの姿をみて赤座先生は八年前、盲児教育に
飛び込んだ。
古ぼけた岐阜市の県立盲学校、赤座先生は小さな指先に全神経を集中し
て点字を追う子に指を添えて教えてやったことも度々だった。粘土細工に
は子供たちは知っている限りのことを指先に托す。乳母車、サーカスの犬、
そして象の形に、真実を追う子どもたちの気持ちはっきり読みとられる。
家庭の貧しさ、或は不意の事故などでこの子たちを閉ざされた世界に落し
込んだのだったが今、先生たちのたゆまぬ努力が実って子どもたちは明る
くすくすくと育っている。
手さぐりでなわとびも、ボール投げも出来た。
クリスマスの日、サンタクロースのおじさんはすばらしいプレゼントをし
てくれた。
だがこの子たちの生きる道はあんましかないと先生たちは心配する。そし
てその仕事も目の見える人の手で荒されていると先生の表情は暗い。
(作品No.NAJ0911-03)
(昭和37年12月27日公開)
すさまじい交通ラッシュであけた一九六二年。交通戦争という新語も生れ
今年に入って負傷者は全国で凡そ三十万人、死者は遂に一万人を越えた。
五月三日常盤線三河島駅の国電上下線と貨車の二重衝突は死者一六〇に及
ぶ大惨事となり、更に八月七日南武線無人踏切の二重衝突事故で、国鉄の
保安設備が槍玉に上った事故は陸上ばかりでなく川崎の京浜運河ではタン
カーが衝突、海の交通規制が叫ばれるようになった。久しく休んでいた火
山が活動、焼岳、十勝、続いて八月には三宅島が噴煙をあげた。
台湾で流行したコレラ菌の侵入を喰い止めようと二億円のバナナを焼却し
たのもこの夏であった。
暗い事件の続くなかでヨットで太平洋を横断した堀江君のニュースは明る
い話題だった。
キングピッチを倒して世界フライ級王座についたファイティング・原田、
念願みのって日本一の座を獲得した若き東映ナイン、東洋の魔女とうたわ
れた日紡貝塚チームはソ連を破って世界一となった。
しかしアジア大会のゴタゴタに引き廻された日本オリンピック委員会は津
島、田端両首脳の退陣にまで発展した。
さて昨年同様経済成長を信じて強気だった池田さんは国際収支の悪化に伴
って景気の手なおしを声明した。
不況の暗雲を払い切れなくなった炭鉱地帯、来年は七万人の首切りが出る
といわれている。十一月東京山谷のドヤ街で食堂のイザコザから騒ぎが大
きくなった事件は背後に相継ぐ昨今の値上りムードにうちひしがれた住民
の不満が暗に語られたものだった。
金づまりの中で三百枚を越えるニセ札が横行した。
八十八パーセントの貿易自由化を実施して世界の経済に立ち遅れまいとす
る池田首相は十一月ヨーロッパEEC諸国を訪問し、アデナウアー、ドゴ
ール、マクミランなど各国首脳に対日貿易の差別の撤廃を強く訴えた。
又第二回の日米貿易経済合同委員会はアメリカで開かれ、両国間の経済協
力を密にした。
今年続いた宇宙開発競争。
ソ連は八月ボストーク3号4号を打ち上げてニコラーエフ、ポポビッチ両
飛行士の宇宙アベック飛行は話題を呼んだ。一方アメリカもグレン中佐が
宇宙旅行に成功、次いてカンペンター、シラーの飛行でようやく遅れを取
り戻した。
十月二十二日、ケネディ大統領はキューバにソ連のミサイル基地が建設さ
れているという理由でキューバの海上封鎖を声明、世界の人々は核戦争の
恐怖におののいた。
そしてフルシチョフ・ケネディ両首脳のギリギリのやりとりとウ・タント
国連事務総長の努力が功を奏してソ連は攻撃用ミサイルをキューバから撤
去し戦争の危機は回避された。
もし戦争が起されれば人類は破滅の道に歩むだろう。ともかく事なく終え
た一九六二年。
来年こそは東西両陣営が足並みそろえて軍縮の方向へ進んで貰いたいもの
だ。それのみがわれわれの平和を約束するものなのだ。
(作品No.NAJ0910-01)
(昭和37年12月19日公開)
宅地ブームにのってあちらの山、こちらの谷が大きな宅地としてどんどん
造成されて行きます。出来たばかりのどろんこの新しい土地も地価はうな
ぎのぼりの高値をよんでいる。
そこではびこるのが宅地を餌にする誇大広告。結構づくめの文句を並べた
ててお客さんを泣かせる業者がめっきりふえてきた。
みるにみかねて公正取引委員会は悪質業者を呼びつけて排除命令を出した。
警視庁では土地業者の取締りはなかなかむずかしいという。
駅からすぐですというかけ声で車にのったはいいが現地迄は大変遠い、森
をぬけ、丘を越えて漸くたどりつくという例も多い、その上取締り当局の
鋭い監視をのがれる業者の手口も益々巧妙になっている。
果ては北海道の原野まで売りに出される昨今の宅地ブームとあればこのよ
うなペテン師もなかなかなくなりそうにありません。
(作品No.NAJ0909-04)
(昭和37年12月12日公開)
終戦直後のベビーブームの時に生まれ、小学校の時からすしずめ教室の苦
しみを味わってきた終戦っ子も今は中学三年。そして来春は高校へ進学の時
を迎えます。
お母さん達は全員を高校へ入学させよ!と毎日陳情に走り廻っていますが
増築の校舎もおびただしい生徒の数には追いつけず、来年は中学浪人とい
う名前も出来そうです。どこの教室も満員。ある中学では教室が足りない
ので一つの教室を代る代る使わなければなりません。生徒たちは授業ごと
に鞄を持って行ったり来たりというありさまです。
校外では毎日の様に補習の連続、そしてテストがくり返される大学受験な
みの激しい競争です。
文部省ではこの状態は三年経てば何とかなると言っていますが、終戦っ子
の高校生活はまたすしづめになりそうです。
(作品No.NAJ0909-02)
(昭和37年12月12日公開)
歳の瀬にあるデパートでは月五千円のモニター料を払ってお客様の智慧を
借りて大売出しに一生懸命です。
ある調味料の会社では社に招いたモニターたちに宣伝の実弾―調味料―を
持ち帰って戴いてご近所にまでも宣伝の浸透を図っています。
またあるカミソリの刃をつくっている会社ではひげボウボウの工員さんを
テストに使うという寸法、ひげの濃い社員ほどモニターとしては貴重な存
在です。
東京都でも食料品や標準小売店のお目付役として千人の婦人たちに経済モ
ニターを委任しました。その覆面のモニター達は額面上と中身に違いはな
いか、量目は正確かなどと調べて廻ります。
なかなか好調のこういったモニター制度、これからますます盛んになりそ
うです。
(作品No.NAJ0908-04)
(昭和37年12月5日公開)