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一九五七年、一月二十九日、南極観測隊は遂にオングル島に日の丸
を掲げました。昭和基地と命名したここを中心に予備観測から本観
測へと、地道な努力が続けられています。帰国の途についた宗谷の
氷にはばまれて立往生、脱出を危ぶまれた時、ソビエトのオビ号が
救援にかけつけたことは、同じ目的に結ばれた科学界のあたたかい
エピソードでした。
宇宙観測年を迎えて、ロケットカッパー打上げを試みたが成果は芳
しくなかった。この年は又原子力時代、東海村に実験用原子炉が設
置され、九月十八日、正力原子力委員長の手によって我が国最初の
原子の火がともされました。
岸総理は東南アジア歴訪を行いました。ビルマ・インドに平和のた
め協力しようと語り、またインドネシアでは、懸案の賠償問題解決
に漕ぎつけました。
つづいて渡米し、アイゼンハウワー大統領と会談、『日米関係に新
時代を開いた』と声明しました。さらに日本は国連安保理事会の非
常任理事国に当選。国際舞台の一役を占めました。一方、新らしい
戦略体勢に基いてアメリカ地上軍は次々と日本を撤退してゆきまし
た。しかし、沖縄では高等弁務官に就任したムーア中将が土地問題
で、瀬長亀次郎氏を追放しました。群馬県相馬ケ原の米軍演習場で
坂井なかさんを射殺したジラードの裁判は、日米関係の試金石とし
て世界の聴視を集めました。
さて、米地上軍撤退のあとをうけた自衛隊は、77キロメートルの強行軍で
二人の隊員が死亡するという事件で大きいに批判を呼びました。
かねて、1CBMの成功を伝えられていたソビエトは、十月四日つ
いに人工衛星打上げに成功しました。この壮挙はロケット科学の先
駆者、ツイオルコフスキーの百年祭に捧げられたものともいわれソ
ビエト科学の力を如実に示しました。
一方自由陣営の期待のうちに打ち上げたアメリカ人工衛星の発射が
失敗し、十二月十六日からパリで開かれたNATO首脳会議では、
アメリカのミサイル基地の要求は西独のアデナウアー首相らから、
ソビエトとの交渉も開くべきだと逆に申し入れられました。
こうした中で、アメリカのミサイルの実験を急ぎ、アトラスに成功
して面目をほどこしました。
東西両陣営の果しない軍備競争の中で、この秋日本を訪れたネール
首相は、『科学に立ち遅れた国際政治への不安』を述べ、『人類の良
心の回復』を切々と訴えました。
村・街・都市の子供たちに夢を与え、大人たちを酔わせた宇宙熱。
決して消え去る事のない人類の歴史の一ページとなった一九五七年
人工衛星の下で地球は、いつまでも平和な軌道を廻り続けて欲しい
ものです。
(作品No.NAJ0646-01)
(昭和32年12月24日公開)
あわただしい年の瀬となりました。東京三鷹の中島さんはコツコツ気の毒
な人への贈り物を集めています。尾久警察の菊地巡査が中心となって身寄
りのないお婆さんに家を一軒贈り、寒空を忘れさせる暖かい人情でした。
女学生の小島さん奥村さんの二人は貧しい子供たちにお小遣いの中から贈
り物をつづけて来ました。東京のあるお寺では歳末助け合い運動のため、
お茶の会が開かれました。東京の万世橋の三千世帯から真新しいふとんが
生活保護をうける家庭に贈られました。一方さびしく余生をおくる養老院
の皆さんには毛布が一枚づつ手渡されました。明るい歳末をと、呼びかけ
る師走の町角です。
(作品No.NAJ0645-03)
(昭和32年12月18日公開)