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一九五五年、終戦十年を迎えた日本は復興の力強い足どりもうかが
われ未曽有の豊年満作という嬉しい稔りにめぐまれました。
五月十一日宇高連絡船紫雲丸が沈没、犠牲者の多くは修学旅行の生
徒たちでした。つづく七月二十八日三重県津海岸で女生徒が溺れ三
十六名の犠牲者を出しました。
お母さん達をふるえ上らせたMF粉ミルクでは衛生管理が問題にさ
れました。今年は火事の多い年で新潟市は百五十億円が灰となり、
横浜市戸塚の聖母の園養老院が炎上九十九名の老人が焼死しました。
スポーツ日本の水上競技では水泳の古川選手がつぎつぎに世界新記
録を樹立、朝日マラソンではカルヴォーネンと広島選手が最後まで
せり合いメルボルン、オリンピックへ大きな期待がかけられました。
六月二十日南ヴェトナムでは今世紀最後の皆既蝕、一方中央アジア
のカラコルムでは京都大学学術探検隊が活躍しました。六月ロンド
ンのソビエト大使館で松本全権とマリク全権が会見、日ソ国交正常
化へ第一歩を踏み出しました。これより先、中国通商使節団雷団長
ら一行が訪れ貿易協定の調印が行われ、一方重光外相らはアメリカ
に赴きダレス国務長官と防衛計画など話合い二元外交を演じまし
た。――
八月六日広島では原水爆禁止世界大会が行われました。十一月七日
東富士のアメリカ軍演習場ではオネストジョンの試射が行われ、東
京都下砂川町では米軍基地拡張の強制測量をめぐって地元側と警官
隊の紛争が起こりました。こうした中で十月十三日四年ぶりに社会党
が統一され、つづいて十一月十五日自由民主党と改め保守政党の合
同が行われました。二十二日第三次鳩山内閣が誕生。折から十二月
十四日ニューヨークでは国連総会が開かれ日本の加盟は残され、
こうした問題に野党は重光外相不信任を叩きつけました。内外の多
くの政策を未解決のまま残しながらも、ようやく活況をとり戻した造
船所、海外から技術を導入して進められているダムの建設。大きな
世界の流れの中にあって多難であった年、一九五五年はこうしてあ
わただしく暮れようとしています。
(作品No.NAJ0541-01)
(昭和30年12月21日公開)