お、オート三輪が映ってる。 自動車の区分に入るのか、オートバイに荷台と
屋根がついたものとみるか、斬新なデザインだ。
でも、絶滅種なんだよね、これ。
今日の1本は、昭和33年、日本各地の道路の風景。
最初は、東京新宿区神楽町(現在の神楽坂1丁目~3丁目付近)の様子。
まあ、そこいらじゅうを掘り返して、泥だらけ。
北海道の釧路のあたりになると、またすごいことになる。
人ひとりが歩く道だが、急坂にロープあり、また波打ち際を潮をかぶりながら
歩くなんてのは、大変だ。
山形県の酒田と余目を結ぶ陸橋というところは、まるで映画のスタンドバイミー
のように、汽車に追いかけられながら渡るようである。汽車も蒸気機関車が
バシュバシュ煙やスチームを吐きながら通り過ぎるのだから、たまったもんじゃ
ない。
いやあ、これは、動く博物館のような映像で、一見の価値あり。
(昭和33年4月2日の公開映像)
「フォークダンスは恋愛を奨励するようなものだから全面的に禁止する」という
校長指示がでたのは、愛知県岡崎高校、昭和38年のとき。
県教育委員会から、中止は行き過ぎと説諭され、その指示を撤回することと
なったが・・・。
フォークダンスの先にある恋愛というものを想像するとき、まだ擦れていなかった
あの頃のことを思い出したりする。
男がモテるための絶対条件は、1.スポーツができること、2.おもしろいこと、
が2大条件で、ファッションセンスは不問、学力なお不問であった。
一方、女子がモテるための条件は、1.清潔であること、2.笑顔が可愛いこと
である。もし、ガングロ系・汚ギャル系が当時にタイムスリップすると、たちまち
村八分で親は毎日泣いて暮らすことになったろう。
この基準は、多分全国共通だと思えるが、ことフォークダンスについては、
地域差、学校差が顕著である。やらないところはやらないし、やるとこはやる。
同じ学校でも、軟派硬派というスタンスの違いもある。当時、自分を軟派という
やつはいないが、硬派を自称することは、男の矜持でもあった。
硬派を自称する生徒は、マイムマイムで騒ぐ男子同輩をバカと呼び、
オクラハマミキサーで、きゃあーと嬌声あげる女子を腰軽と呼び、
屋上でタバコを吸って指をさしながら批判していた。
ワタシは、こともあろうに、硬派であった。orz
もいっぺん、やりなおしてもよかですか?
(昭和38年5月22日公開の映像から)